2013-05-29 第183回国会 衆議院 法務委員会 第15号
といいますのは、昭和二十二年にキャスリン台風がありまして、これで利根川の堤防が決壊いたしまして、千名を超える犠牲者が亡くなられました。その後、この地元の地域におきましては、災害に対する非常に強い思いがありまして、強化堤防から、そして一致結束した、集落においての災害に対する意識が非常に強い地域でございます。
といいますのは、昭和二十二年にキャスリン台風がありまして、これで利根川の堤防が決壊いたしまして、千名を超える犠牲者が亡くなられました。その後、この地元の地域におきましては、災害に対する非常に強い思いがありまして、強化堤防から、そして一致結束した、集落においての災害に対する意識が非常に強い地域でございます。
上は栗橋から下は三郷、八潮の一帯でございますけれども、ここは、江戸川と中川、この二つの大きな河川が流れておりまして、昭和二十二年の九月にキャスリン台風があったときに、この地域一帯は水没して、そして、千百人を超える被害者も出たということになっておりまして、非常に土地の低いところであります。 ここの災害拠点病院を見ると、栗橋の済生会病院と越谷の獨協病院、二カ所だけなんですね。
キャスリン台風で利根川が決壊して、六十年ちょっとになります。家康の利根川東遷、これは約三百年以上前でございますが、もう誰も言わなくなっております。 防災は、国防と同じく、国家の一番重要な責任である、こういうふうに認識しておりまして、首都圏の治水安全度の確保は国家的な課題であると基本的に認識をしております。 利根川の東遷、要するに、もともとは利根川は東京湾に流れておりました。
例えば、利根川につきましては昭和二十二年のキャスリン台風で大はんらんをしてというようなことがございますが、そういった規模あるいは頻度というのがばらつきがございますし、実際に水防活動の状況等様々な要因に基づきまして生じるということでございまして、そういう意味で想定被害額と実被害額は性格が異なりますので単純には比較できない、そういう性格のものであると思っております。
八ツ場ダムは治水も利水も、キャスリン台風のことで分かるじゃないですか、何千人もが亡くなって、治水も利水も、そして発電にも使えるわけですよ。これをやめて何になるかと。失われた二年間、我々はどうすればいいのかと。このことを早く大臣、決断をしていただきたいと。
キャスリン台風のときのあのところですよ。あそこを全部スーパー堤防にすると、少なくとも関東平野の壊滅的な破壊は免れるんですね。だから、本当に大きいんです。いつ来るか分かりませんよ。来たら何十兆というような被害が出る、何百人、何千人という人が死ぬ、そういうことがなくなるんです。ですから、利根川右岸堤、中流部の右岸堤のスーパー堤防化というのは、これは結構急ぐのかもしれない、戦略としてですね。
この地区につきまして、平成十八年度に実施いたしました住民アンケート調査でも様々な要望をいただいておりまして、昭和二十二年のキャスリン台風のようなはんらんのときに住民が避難できる安全な場所を確保してほしいという要望がたくさんございました。 それを踏まえまして、今回の堤防の整備に合わせまして、栗橋町と連携して防災公園等避難場所の整備を行うべく協議を進めております。
こういう状況、戦後、二十二年にキャスリン台風があって、二十八年に西日本豪雨があって、三十四年に伊勢湾台風があってとか、どうもやっぱり気象の大きな波があるようですね。そんなことでいよいよ災害が発生しやすいような、近年、昭和四十年、五十年、余り大きな災害はなかったんですけれども、これから少しまたそういう災害頻発の時期に入ってきたのかなというふうな感じもちょっとするんです。
さらに昭和二十二年、先生が三十六歳のとき、埼玉県知事西村実造氏の強い懇請により副知事に就任され、地方自治の発展、民生の福祉増進に尽力、特に、キャスリン台風が関東一円を襲い、利根川が決壊して千人を超す死傷者を出す大災害の際、最も危険な栗橋方面で陣頭指揮し、一時「福永副知事行方不明」とのラジオニュースが流されるなど、八面六臂の活躍をせられたのであります。
四七年のキャスリン台風、四八年にはアイオン台風、四九年にはキティー台風、五〇年にはジェーン台風、五一年にはルース台風、五二年にはダイナ台風、これはアメリカがつけた名前でございますが、例年台風が日本を襲ってきたわけでございます。で、引き続きまして五三年には十三号台風、五八年には狩野川台風、そして五九年の伊勢湾台風、六一年の第二室戸台風、こう続いてきたわけですね。
その後、昭和二十二年にキャスリン台風がありまして、さらに一万トンを上回る高水量があった。したがってこの昭和二十四年に「利根川改修改訂計画」というものが策定をされて、そのときには八斗島における高水量は一万七千トン・パー・セコンドに改めざるを得なかった、こういうことなんですね。
幸いなことに、昭和二十二年のキャスリン台風以来、翌年にアイオン台風ですか、ございましたが、その後著しく大きな洪水というものが利根川水系には来ておりません。昭和三十三年、三十四年と、八斗島のピーク流量約一万弱というのがございましたのが最大で、それ以後はそう大きなものが来ていないわけでございます。
ただし、これはいろいろ先ほど来お話のございますように、相当まあ水没家屋等もございますし、住民の反響等もございますので、私どもといたしましては、当面現地に即するような調査というのはなるべく遠慮をしたいというようなことで、非常にまあ一般論的な、沼田ダムの建設に対してそれにかわる適当な開発地域がないかどうか、そういったような経済的な面の調査、それから流量的に利根川の流域に、二十二年のキャスリン台風等がかなり
その上、伊勢湾台風、その前にはキャスリン台風、アイオン台風、いろいろございまして、その後ときどき大きな台風に見舞われるということで、国土の安全度ということは戦前から比べますと相当低下をいたしております。その後五カ年計画がいま第三次計画を実施中でありまして、逐次回復をしつつあるというのが実情でございます。
やはり日本の心臓部ともいうべきこの関東平野、首都を含むこの関東平野が一たびキャスリン台風、アイオン台風ぐらいの台風に見舞われて、そして洪水でもってたいへんな事態が起こるということは、これは国家的利益を考えましても絶対に避けるべきである。したがって、治水のためのダムというものは、これは私どもとしては必要であるということから、今日まで各地にダムができておりますが、私どもは反対運動をいたしませんでした。
渡良瀬遊水地は、その目的を申し上げますと、ちょうど昭和二十年のキャスリン台風によりまして大出水があったわけでございます。それを契機といたしまして、昭和二十四年に利根川改定改修計画というものが策定されまして、その計画におきまして、渡良瀬川及びその支川の思川、巴波川の洪水調節を渡良瀬遊水地の調節池で人工的に調節いたしまして、利根川の最大流量に影響を与えないように現在計画されておるわけでございます。
○田村賢作君 これは河川局長もよく知っているわけなんですが、キャスリン台風云々でなく、これはもっとさかのぼって明治の初期から例の足尾鉱山の鉱毒問題以来端を発して、非常なあの地域の政治問題となってこの遊水地ができたわけであります。明治三十八年に谷中村という一村を買収して、先祖伝来住まっておった住民を立ちのかせまして、あそこに遊水地をつくったのであります。
この発端になったことは、田邊さんも大体御承知のように、キャスリン台風、昭和二十二年のときでしたか、あのときに、これはたまらぬじゃないかということで洪水量の調査にかかったのです。そのとき洪水量のピーク時は毎秒一万七千立方メーターであろうということで、そのうちで幾らの水量を上のダムで防ごうじゃないかということで、いままで長年かかって藤原ダムあるいは八木沢、下久保ダム等々をやっておるわけです。
これは必ずしも沼田と限定したことじゃなくて、要するに、先ほど大臣が申されたように、一万七千トンというキャスリン台風の洪水の推定、これは従来から上流がはんらんしたままの形でそういう水が流れてきたので、そのはんらんを戻したり、あるいは流域の開発に従って流量がふえてくるという予想があります。
従来からの集まった水文資料によりまして洪水の解析を行なっておりまして、これらの問題が出れば、先ほど申し上げました流出率の増大とか、あるいは二十二年のキャスリン台風の精査の不足というような問題が重なり合いまして、若干の増高を要する。
これが具体化しかかったのは、戦後相次いで起こりましたキャスリン台風とかキティ台風による利根川のはんらんがこれを具体化する一つのきっかけになったようでありますけれども、そのときには一応計画が内面的になされただけで表面化するに至らなかったようであります。
最近におきまして、いろいろ利根川の流出の解析をやっておるわけでございますが、キャスリン台風の流出の解析というのは、具体的にさらに検討いたしまして、若干こういった問題点があるようでございまして、今後その検討を進めたいというふうに考えております。ただいま利根本川につきまして約五百万のそういった流出解析の予算をつけておりまして、それによって具体的な流量の分析を行ないたいというふうに考えております。
これは国の御計画と国の御指導に従いまして、昭和二十二年のキャスリン台風のあとで利根川の治水計画というものを根本的に建設省でお考えになりまして、私どもの県にすれば上流地帯、烏川が利根川本流に合流する地点の八斗島付近において三千立米の流水のカットをする。
ですから、私は利根川と筑後川の点について——そのほかたくさんありますが、時間がありませんから、二つにしぼって簡単に一、二お聞きしたいのは、利根川におきましては、昭和二十二年のキャスリン台風級の災害を防ぐために必要とされる現在の計画、すなわち、上流は多目的ダムで三千トンのカットをする、中流の渡良瀬調整池計画では九千四百トンの調整をする、下流の利根放水路、これは昭和放水路とも申しますが、この計画では三千